松本市教育会の歴史


ことがら
明治17 前身の東筑摩郡私立教育会発足。「東筑摩郡教育雑誌」発刊。
18 東筑摩郡教育品展覧会開催。
19 私立松本教育会と改称。「松本私立教育雑誌」と改称
22 東筑摩教育交詢会と改称。
明治25年〜
昭和10
全国的に珍しい一市一校制。
(大正時代 大正自由主義教育に対して穏健な対応。)
31 信濃教育会部会東筑摩交詢会となる。
明治40 松本尋常高等小学校男子部で創立会が開かれ、発足が決まる。
41 発足式。 郡市職員連合運動会。 信濃教育会の部会となる。
43 郡市連合総集会。(一流名士を講師として招く。)
45 社交(教育)クラブ設置。(教育会館の走り的役目)
旧開智小学校の参観者全国から950名。
(就学率全国一位、講習会、講演会を通して教職員の資質向上を図る。)
大正2 小学校、実科中学、幼稚園の女子教員が「女子談話会」同好会発足。
39 信濃教育会の組織改革にともない、中学部、初等部の2部制になる。
8 「東筑摩郡誌」発刊
9 東筑摩教育会と連合で行われていた総集会が松本市単独で行われる。
1213 県営図書館を設置することについて、信濃教育会に協力、運動を進める。
昭和12 会員相互の年賀状を取り止め、その費用を市の統後後援事業にと市長へ提出。
信濃教育会にも「国防並恤兵献金」を送金。
13 予算内に「支那事変関係費」を計上し満州国視察員も派遣。
16 国民学校制に伴ない、国民学校教科研究委員会を発足。
四柱神社前で「詔書奉読式並戦勝祈願祭」挙行。全会員参列。
1620 水汲にあった県営運動場横の養真堂で義勇軍志願者を対象とした拓務訓練を行う。
17 毎月8日を「大詔奉戴日」とすることを定めた。
興亜教育委員会と義勇軍送出に力を入れる。
19 生徒児童創作工夫作品展覧会。
20 松本市教育会および信濃教育会松本部会解散式ならびに大日本教育会長野支部松本分会結成のための臨時総会を開く。
学徒動員、軍人援護教育、健康教育など12の委員会が設置。
21 大日本教育会県支部の方針を受けて、新教育研究委員会を組織し、新教育の理念と方法を求める研究活動を開始、講習や公演会を盛んに主催。
22 大日本教育会長野県支部松本分会を改め松本市教育会となる。
指導要領に対応するための教科委員会が活動を始めるなど教育会が中心となって新しい教育の方向を見出した。
23 松本市教育会を構成していた義務制、新制高校、大学高専の三部会が分離、発展的な解散。
信濃教育会員であって市内義務教育制学校、幼稚園等に勤務する者等をもって構成員とする「信濃教育会松本部会」が発足。現在の松本市教育会の原点。
2327 5日制が実施。委員会を設置。実施方法や問題点を研究。
2428 24年教職員免許法が施行されることにより免許法認定講習会
27 社会科資料叢書第3集「郷土の姿」刊行。
28 社会科資料「松本市の姿」刊行。
29
  29
年〜
「就学前の教育」刊行。
多くの同好会ができて、同好会活動が活発に行われた。
30年〜 松筑地区教研集会が、松本市教育会、東筑摩教育会、県教組松筑支部3者共催で始まる。
31
  31年〜
「入学まえの教育(お母さん方へ)」刊行。
新会員歓迎会。
32
   32
年〜
「母親のための幼児と心理と生活」「私たちの郷土松本市」刊行。
「松本市教育会会報」発行。
3439 松本市全体として新CSにそった統一的な各教科の年間指導計画の作成、指導計画の実証的研究、指導計画に基づく指導法の研究を行う。
36年〜 教育課程研究協議会の推進研究を中心になって進めた。
37 「同和教育をすすめるために」「東筑摩郡・松本市・塩尻市誌第三巻現代上」発行。
40 「東筑摩郡・松本市・塩尻市誌第三巻現代下」発行。
42 松本市教育回顧座談会を会誌「松本教育」創刊号に載せる。
43 「松本市とその付近地図改訂版」「東筑摩郡・松本市・塩尻市誌第二巻歴史下」発行。
44 教科道徳などの研究委員会が全廃された。家庭教育など新しい委員会が誕生。
版画巡回展。
4545年〜 教科研究会から教科研修実施委員会により計画された実技中心の研修会に変わる。
小学校は東西南北の4ブロック、中学校は各教科に分かれ全員参加のもと研修会が開かれる。
特別学級児童生徒作品展。図画作品巡回展。科学作品巡回展。

47

47年〜

総集会が終日から半日に、会場も小中学校から公共施設に、レクリエーションがなくなるなど日程内容が変わる。
現在の教育会活動内容のルーツは
40年代にできる。
中学校1年生社会科学習帳「身近な地域の学習」、小学校4年生社会科学習帳、
小学校3年生社会科資料集「わたしたちの松本市」、科学作品集第12集、
朝永振一郎講演筆記「科学と人間」発行。
図工美術作品巡回展。
49 今まで点々とした教育館が山辺小学校里山辺分校に置かれる。
50年〜 習字作品巡回展覧会。
54 日本連合教育会松本大会。
56 小学校34年生用松本市地図作成。
57年〜 教育懇談会開かれる。
58 教育館が教育文化センターとして落成。
59 松本市教育会百周年記念総集会。浅井冽歌碑竣工。「百周年記念誌」刊行。
60 自然委員会新設、「松本盆地の生物」編集。資料収集委員会新設。
61 保健教育委員会、合科総合委員会が新設。
平成元年 合科総合委員会が生活科委員会となる。
2 「浅井冽遺稿集」刊行。
3 パソコンの導入に伴ない、パソコン委員会発足。
4 同好会独自で発足会を行っていたものを同日に同一会場で行うようになる。
5 青年教師委員会発足。
6 松本市教育会百十周年記念総集会。
「松本市教育会百十年のあゆみ」刊行。
7 全県研究中信大会が開明小学校で開催される。テーマ「自己教育力の育成」
会誌「松本教育」創刊30周年記念号 刊行される。
8 信濃教育会百十周年総集会が松本で開かれ、企画運営に協力。
9 信州理科研究会の全県大会が清水中学校で開催された。
国際理解教育の同好会がオリンピックの流れにのって復活。
10 教科等研究委員会 A・B2グループとし、交互に2年サイクルの研究とした。
11 信濃教育会定期総集会が松本で開かれ、企画運営に協力。
12 特別委員会「あり方委員会」設置して新教育課程の移行を目指した検討がされた。
13 信教主催「心の教育シンポジウム」が松本市教育館で行われる。
14 「松本市教育会創立120周年記念事業実行委員会」が設置され、事業推進にあたる。
15 情報化社会に伴ない、ホームページ作成委員会を増設し、松本市教育会ホームページを立ち上げる。
第2回「信州教育の日」が浅間温泉文化センターで開かれる。
16 松本市教育会百二十周年記念総集会
「120年のあゆみ」刊行
「松本教育」表紙 滝川照子氏画から中村次郎氏画・カラー化
松本市教育会報にカラー導入
17年 旧奈川村,安曇村,四賀村との合併により,新松本市がスタート。学校数及び会員数も増加する。
全県研究中信大会が旭町・丸ノ内中学校で開催される。テーマ「生涯学習社会を共に生きる力の育成〜基礎・基本の定着とその評価〜」
松本市教育会会則及び総則を大幅改定。
18年 地図委員会により、社会科学習資料「新松本市地図」作成される。
信教共生フォーラムが鎌田中学校にて開催される。
19年